わたしの崇拝について

関係を深めることが出来ないとわかっている上で特別な人に会いに行きたいと願うのは、才能や外見などの既に表出しているその人の美しさを目撃することで生きるエネルギーを補充したいと心の底で思っているからで、つまりその相手を自分の都合のいいように偶像化しているということなのだろう。こういう気持ちを持っていても健康でいられる人は、おそらくだが自分の人生を生きている。自分のことをしっかりと好きな上でその人を崇めている。だから今の私にはまだこの気持ちはゆるされないような気がする。生まれてきた以上、他人への偶像崇拝に逃げてばかりで自分の人生を放棄するのはゆるされないはずだから。何からかは分からないが。


そういうわけで、今日は特別な女の子に会いに行くチャンスがあったわけだが見送ることにした。東京事変の、スーパースターという曲の歌詞を反芻する。

“私はあなたの強く光る眼思い出すけれど もしも逢えたとして喜べないよ か弱い今日の私では これでは未だ厭だ”