ふたりきりの惑星 その2

昨日の妄想の続きをしようと思う。

 

この惑星はずっと涼しい。まるで、星全体にいつもクーラーがかかっているみたいに。けれど、常に蜃気楼のように景色がぐねぐねと揺れている。

百貨店で見た、カラフルなゼリーの中のフルーツみたいに、私たちもこの惑星の中に閉じ込められているみたい。どんなに歩いても同じ色の空、同じ香りの空気。

そんなことをこぼしていると、抜け出してみる?と君は言った。抜け出して違う色の空気を吸ってみるかい、と。私は少し迷って、賛成した。君のふわふわの手を握って、目を閉じる。一、二、三!という掛け声とともに私たちの周りの地面や建物や並木が、大きく、ぐにゃりと曲がった。

目を開けると、そこには今まであった薄ピンク色の世界ではなく、ただただ草原が広がっていた。見上げれば一面の青空。そよそよと風が吹く。草の匂いと土の匂いに混じって、仄かに花の香りがした。

まるで別の世界ね。永遠にここで寝っ転がっていたいわ。草原の上に仰向けになっていると、まるでこれがすべてなのではないかと思うの。

心が完全に開いて、感情も言葉も全部身体をすり抜けていく。空へと。このまっさらな空気に波動ができて、みんながその波に乗るから、それが一体感に結びつくのかな。ねぇ君はどう思う。

そうだなぁ。でも、ほかの生き物たちは今、寝っ転がっている僕らをよそに、皆各々のリズムで動いているよ。ハチは巣と花を回ってぐるぐると飛んでいるし、花は、みんな違う順番で風に吹かれてそよいでいる。ああ、たしかにそう。今私は空しか見ていないから分からないけど、一つも同じスピードで動いていないのね。

 

このような対話は、私は何度かしたことがある。私と、私の中にいる私がそんな話をしていた。今日の妄想はこの辺で。

ふたりきりの惑星

私しか知らない世界で私しか知らない君とふたりきりで眠りたい。断絶された世界の中で二人きりになった私たちは永遠に孤独を感じることなく生きていけるだろう。

私の妄想が作り上げた変な世界はパステルカラーをしている。人の視線はないし飛び出してくる人も車も自転車もない。ぷかぷかと綿あめのような雲が浮かび空は薄紫色で地面はピンク。全ての境界線がはっきりとしている。コントラスト高めの世界。

スポンジのようにやわらかい地面を蹴りながら君と散歩する。君は白くてふわふわしている。大きくなったり小さくなったりしながら私の隣を歩く。つかれたら木陰で休む。

 

今日の妄想はこの辺で終わり。馬鹿みたいなことを延々と言っていたい夜。

もう以前のように気軽に会うことのなくなった人たちのことを考えてみる。

人との関係性の行方は自分で決められない部分があり、それが良い面でも悪い面でもあるのだと思う。単に感情だけではなく、自分や相手の状況や置かれている環境にそれは大きく左右されていく。

会いたければ会えばいい。しかし何かがそれを阻んでいる。で、まぁいっか、となる。そうして一人きりの部屋でお酒を飲む。誰かから連絡が来る。でも、返す気になれない。

外科的な手術を2回受けたことがあり、その名残でいまでも上半身の一部の感覚が無い。とは言っても、局所的に何箇所か麻痺している状態。主治医は、神経が切れているわけではないからそのうち治ると言ったけれど治らない。でも日常生活に支障はきたさないのでそのままにしている。

しかし、もしもわたしの神経が正常だったなら、もっと完璧に皮膚は私のもので、風を感じたり、毛布のあたたかさとか、やわらかい生地の服なんかも、もっと心地好かったのではないか、と思ってしまう。思ってしまうのは、なんだか、いつも分厚いゴム製の服を着せられてる気分だからだ。もっと鋭敏になりたいのに。悲しい。

 

今すんごい心の内壁がザラザラしていて、撫でるとぼろぼろ削りかすみたいなのが落ちていく。生きているのって生かされているのって、誰も理由を知らないけど各々生きているわけで、考えていることはみんなばらばらなんだろうけど生きることの根源についての問題の答えを知らないというという点においては共通していて、それってすごいことなんじゃないかと思った。いや、もしかしたら神の使い的な人が人間界に混じっているとしたら別だけど、でも人類共通の知識として共有されていないということはきっと誰も、命がどこから来るのかとかどうして生きているのかとかどこから来て何に生かされているのかを知らないんだ。そう考えると人類みな兄弟って一理あるな。

記憶の宝箱

過去に見た綺麗な景色や情景などを、無意識に思い出してはノスタルジーに浸っていることを、最近自覚した。これがいいことなのか悪いことなのかは分からないけど、私はいつでも新しい綺麗な景色を見つけたいし、記憶の宝箱を更新していきたいと、そう願っている。切なくなくて美しい思い出ってもしかすると貴重なのかもしれない。切なさが伴っている記憶は思い出すのが苦しくなるから、どんなに美しくても無意識のうちに思い出さないようにしているみたいだ。(それでもたまに思い出すけどね)。オチはないけどちょっと書いておきたかった。備忘録です。ちなみに今思い浮かべているのは、この間大学のプランターに植えてあるパンジーと目が合ったときの記憶。

花のワルツの日


いま、チャイコフスキーの花のワルツを聴きながらこれを書いている。

 

ワルツって、夢みたいだ。小さい頃に見たアニメや、ミュージカルや、バレエの発表会を思い出す。ほとんど夢と化した美しい記憶の断片が蘇ってくる。


あの頃はどこまでも行けたけれど、今となっては、決められた色のタイルを、いかに瞬時に見つけて正しく踏み歩いていくか。そんな毎日である。

 

 

去年、とある女の子が紡ぐ言葉に、私は強く惹きつけられた。心の内側のふさふさを優しく撫でてくれるような詩。わたしは愛がなんなのか、恋がなんなのかをよく分かっていないけれど、でもその女の子が書いた愛についての詩を読むと、とっても安心するのだ。


そして今日、その女の子が働いているお店に行った。四ヶ月前に、わたしがそこで買った詩集を、後日彼女が郵送してくださったので、そのことでお礼を言いたかった。ノースリーブのワンピースに、白い肌、ショートカットの彼女が、飲み物を注いだり伝票を整理したりしている所をカウンター席からそっと見つめた。なんだか夢みたいな光景だった。いつの間にかわたしは彼女の言葉だけではなく、彼女の存在そのものに、名前の付け難い思いを抱くようになったのだった。

とにかく、とても幸せな時間だった。彼女はわたしに、たくさん話しかけてくれた。楽しかった。もっと居たかった。

 

今日も生きていてくれてありがとう。遠くてあたたかいひかりさん。この記憶が夢になっても、わたしはずっと、遠くからあなたの幸せを祈ってる。