プラスチックのイヤリングの女

あなたから電話がかかってきて

急いで身支度を始めるわたし

鏡の中には真珠の耳飾りの少女

とは程遠い

プラスチックのイヤリングの女がいる


まだぎりぎり 若いけど

何もできないの

 

あなたはわたしのことちっとも好きじゃないけれど いつでもやさしい


でもあたしがそのうちおばさんになったら

もう

遊んでくれなくなっちゃうものね

つながりたいという気持ちについて

人との出会いが希望に変わることがある。

人とつながりたい、と渇望していることを自覚した私は、ほぼ毎日行っていた部屋でのひとり飲みをやめた。ひとりで飲んでも人とつながらないからである。それと、単に生理的作用として、身体からアルコールが抜けていく時のあの虚無感が自分をダメにしている気がしたからだ。まだやめて5日間しか経っていないが、今のところ特に飲みたいという気持ちにならないことにホッとしている。依存症では無かったのだなって…。

わたしの中では人とつながりたいというのは、言い換えれば親友、もしくは恋人がほしいという意味だ。多分そうだ。

そして更にその文脈を紐解くと、分かり合えないということを分かり合いたいという気持ちや、健全で対等な関係を築きたいという気持ちや、信じ合いたいという気持ち、などである。

それでも、今までの人間関係を否定するつもりは、全く無い。出会った人々には一人残らず出会ってよかったなと思っているし、全員に感謝している。好きな友達も知り合いもいる。ただ、新しい関係性を開拓したいな、人を正しく愛したり、愛されたりしたいな、という気持ちがこの「人とつながりたい」、という言葉に集約されている。

 

ライブのMCで、やっぱりさあ、人生からは逃げちゃダメなんだよねぇ。と、好きなアーティストが言っていた。その人は、かなりきれいでかわいくて、愛されていてそれでも裏ではたくさん苦しんでいる、というのを常に滲み出している人で、そんな人が逃げちゃダメだと言っていた。自分に対して、逃げちゃダメだなぁとちょうど思っていたからそれを聞いて「やっぱりそうだよねぇ」と思えたのが少しだけ心強かった。

自分からも他人との関わりからも、勉強からも運命からも逃げずに立ち向かうみたいな、言葉にしてしまえば簡単に言えるけど、ホントのところではよくわかってない。言葉の使い方も下手だ。なんかもう、自分ひとりの部屋にいるとなんも手につかないという日々が続いていて、立ち向かうどころではない。それなのに人目は気になるから外ではビクビクしてしまうし、病院へ行ってせいしんてきなくすり(飲んだことない)を処方してもらったほうがよいのではないか、とわりと真剣に考えている。こんなに余裕が無いくせに友達を遊びに誘って、もちろんこういうときはあっさり断られるって相場が決まってるから、この世の終わりみたいな気持ちになっちゃったりして、本当にばかだな。ばかみたいだな。へんなものばかり引き寄せて。幸せからどんどん遠ざかっている気がしてこわい。

わたしの崇拝について

関係を深めることが出来ないとわかっている上で特別な人に会いに行きたいと願うのは、才能や外見などの既に表出しているその人の美しさを目撃することで生きるエネルギーを補充したいと心の底で思っているからで、つまりその相手を自分の都合のいいように偶像化しているということなのだろう。こういう気持ちを持っていても健康でいられる人は、おそらくだが自分の人生を生きている。自分のことをしっかりと好きな上でその人を崇めている。だから今の私にはまだこの気持ちはゆるされないような気がする。生まれてきた以上、他人への偶像崇拝に逃げてばかりで自分の人生を放棄するのはゆるされないはずだから。何からかは分からないが。


そういうわけで、今日は特別な女の子に会いに行くチャンスがあったわけだが見送ることにした。東京事変の、スーパースターという曲の歌詞を反芻する。

“私はあなたの強く光る眼思い出すけれど もしも逢えたとして喜べないよ か弱い今日の私では これでは未だ厭だ”

 

 

スーパーイオン、モールサッド

君はきっと一生〇〇だしわたしもきっと一生〇〇だね。一生っていうか、今自分が抱え込んでる思い込みとか呪いとか、無知由来の自作理論とか、そういうのから全部解放されない限りそうだろうね。

 

何年も前、君とわたしの仲が良かった頃、君はわたしに「男だからけじめをつける」と言った。未だに覚えている。あの時のかわいい気持ちは全部消えたけど、夕日がオレンジ色で君の全身を染めていたこととか、わたしがずっと笑いをこらえていたこととか、アスファルトの上で立ち尽くしてその場で叫びだしたくなったこととか、そういうのを断片的に覚えている。

 

もう会うことはないだろうね。君が最後に連絡をくれたのはいつだったっけ。たしか三年前、わたしの21歳の誕生日の時に、お誕生日おめでとうメールをくれたのが最後かな。かなり嬉しかったけど、君が野菜を育てている話とか、持ち前の不器用さで彼女がなかなか出来ないこととか、そういう話にわたしは全く興味を持てなくなってしまっていて、そうなると話が弾むことはなくそれから連絡は途絶えた。

 

君とはじめて出会った時には運命かもしれないとわたしは思ったけど、君はどうだったんだろう。君はわたしのことを今でも覚えているのかな。

ひととつながりたい。ヒリヒリとした気持ち。

 

心と体の感覚が一体になって共鳴するとき、

世界が自分と、それ以外に

はっきりと 分離される。

いい歳して自己満足的な愛に浸っている人を見ると自分を見ているようでいたたまれなくなる。自分が何者にもなれないから、一生懸命やることがないから、暇だから、他人のことを沢山考えて、それで他人になにかした気になっている、ということになかなか自分では気づけないし、気づいても今の私みたいに、そのせいで失われた膨大な時間に思いを馳せながらただただ絶望するしかない。私はもうこれは罰だと思って、これから頑張るしかないと思っている。10代を適当に過ごした罰として、20代は最悪かもしれない、でも今から頑張ればもしかしたら30代はちょっとマシになってるかもしれない。それが唯一の希望だ。